ヘンケルが展開する2つの事業部門「アドヒーシブ テクノロジーズ(接着技術)」「ヘンケル コンシューマーブランドは。
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シュワルツコフと資生堂プロフェッショナルが長年培ってきたヘアカラーのイノベーションとトレンド、プレミアムヘアとスカルプケア、育毛ケア、スタイリング、パーマソリューションなどの専門知識を活かし、アジアにおけるヘアプロフェッショナル事業の拠点となることを目指します。
ヘンケルが展開する2つの事業部門「アドヒーシブ テクノロジーズ(接着技術)」「ヘンケル コンシューマーブランドは。
さらに詳しい情報シュワルツコフと資生堂プロフェッショナルが長年培ってきたヘアカラーのイノベーションとトレンド、プレミアムヘアとスカルプケア、育毛ケア、スタイリング、パーマソリューションなどの専門知識を活かし、アジアにおけるヘアプロフェッショナル事業の拠点となることを目指します。
ヘンケルの歴史
140年を超えるブランド成功の歴史
ヘンケルの歴史は、1876年、科学に興味を抱く28歳の商人、フリッツ・ヘンケルによって始まりました。1876年9月26日、彼は2人のパートナーとともにヘンケル&シー社をドイツのアーヘンに設立し、最初の製品であるケイ酸ナトリウムベースの汎用洗剤を販売しました。
その後、歳月をかけて、ドイツの起業家一族と多くの社員が、ヘンケルをグローバル企業に築き上げたのです。
ヘンケルは、ランドリー&ホームケアとビューティーケアをヘンケル コンシューマーブランド事業部門に統合しました。ヘンケルはこの新事業部門の設立により、成長のためのマルチカテゴリー・プラットフォームを構築し、Persil(パーシル)やSchwarzkopf(シュワルツコフ)などの代表的なブランドを含むコンシューマー向けブランドとビジネスを1つに集約するとともに、プロフェッショナル向けヘアビジネスもその中に組み入れます。経営委員会役員で元ビューティーケア部門およびランドリー&ホームケア部門担当取締役副社長のウルフギャング・ケーニッヒが、コンシューマーブランド事業部門の責任者に就任しました。
ヘンケルが接着剤業界に参入したのは偶然からですが、それが大きな幸運をもたらしました。1922年に接着剤の供給不足に直面したヘンケルは、自社製品の包装用に接着剤の生産を開始しました。1923年にはヘンケルは接着剤の販売を開始して以来、さまざまな製品や工業用途向け接着技術の世界のトップメーカーとなっています。
MITはヘンケルの社員および定年退職者によるボランティア活動の支援の手段として、援助を行っています。これまでに、100か国以上で17,300以上のプロジェクトを支援してきました。ヘンケルは1998年にMITを開始して以来、他のドイツ企業に先駆けて、自発的な社会貢献がサステナビリティに資する重要な要素であると認識してきました。支援内容としては、金銭的援助や現物寄付を行っているほか、社会活動に専念する社員に有給休暇の取得を認めています。詳細はこちらをご覧ください。https://www.schwarzkopf-professional.com/jp/ja/you-and-us/shaping-futures.html
フリッツ・ヘンケル(1848年~1930年)は、先見の明を持って当社の成功の基盤を築いた人物です。彼の行動の根底には、ヘンケルという会社、社員、社会そして環境に対する責任感がありました。こうした彼の姿勢はロールモデルであり、ヘンケルの成功の歴史を受け継ぐ勇気を与えてくれます。生誕175周年を記念したバーチャル展示では、フリッツ・ヘンケルの幼少期からヘンケル創業期を経て、企業家として成功するまでの生涯を振り返ることができます。詳細はこちらをご覧ください。 https://www.fritz-henkel.com
ヘンケルは、資生堂のアジア太平洋地域におけるヘアサロン向け事業を買収する契約を締結しました。この買収には、使用許諾を得た「資生堂プロフェッショナル」ブランド傘下の、『サブリミック(SUBLIMIC)』や『プリミエンス(PRIMIENCE)』といった主要ヘアサロンブランドが含まれています。
ヘンケルはさらにサステナビリティ戦略の開発を進めてきました。その成果、新しい2030+ Sustainability Ambition Framework (2030年以降の意欲的なサステナビリティフレームワーク)が生まれました。これには、サステナビリティに向けて経済と社会の変革を支援する新たな長期的目標も含まれています。
ヘンケルは1億3,000万ユーロ以上を投資して、デュッセルドルフ本社に最先端のビルを建てました。この施設では350名を超えるヘンケルの専門家たちが、さまざまな産業の新技術やアプリケーションの開発を行っています。またこのビルは、接着剤、シーリング剤、機能性コーティング剤の新たなソリューションを紹介するグローバルカスタマーセンターとしての役割も担っています。
2020年1月1日付で、カーステン・クノーベルがヘンケルのCEO(最高経営責任者)に就任しました。約35年にわたりヘンケルに勤務したハンス・ファン・バイレンの後任となります。また同日付で、マルコ・スウォボダがカーステン・クノーベルの後任として、CFO(最高財務責任者)に就任しました。
ヘンケルはプラスチック廃棄物削減ボンド(社債)を世界で初めて発行した企業です。2020年に発行されたこのボンドによる資金は、プラスチック廃棄物削減に関連するプロジェクトに投資されます。このボンドの総額はおよそ1億ユーロで、満期は5年です。
ヘンケルは、多くの新興企業やベンチャーキャピタルファンドに約2,500万ユーロを超える投資を行いました。現在は、ヘンケルベンチャーという専門部門がベンチャーキャピタル活動を管理しています。Henkel Ventures.
グローバルに展開するダーレックス・パッケージング・テクノロジーズ社の事業とゾンダホフ・グループの買収を完了しました。この買収により、ヘンケルはアドヒーシブ テクノロジーズ(接着技術)事業部門を強化し、テクノロジー・ポートフォリオを補完します。 Darex Packaging Technologies website
この買収により、ヘンケルはサロン向けヘアケア事業を強化し、メキシコおよび米国でのマーケットポジションを大幅に拡大します。この取引には、ヘンケルの主要事業であるサロン向けヘアケア事業のリーディングブランドのポートフォリオが含まれています。主なブランドはPravana(プラヴァナ)、Tec Italy(テック・イタリー)です。
2016年5月1日、ハンス・ファン・バイレンがカスパー・ローステッドに代わり、ヘンケルのCEOに就任しました。ハンス・ファン・バイレンは、2005年より経営委員としてビューティーケア事業部門を担当しています。
2016年3月1日に経営委員となったパスカル・ホウディが、ハンス・ファン・バイレンの後任として5月1日にビューティーケア事業部門担当の取締役副社長に就任しました。
2016年9月1日付けでヘンケルはアメリカのランドリー&ホームケア企業のサン・プロダクツ・コーポレーションの買収しました。これは投資ファンド、べスター・キャピタル・パートナーズから買い入れの形で実現したものです。この買収はヘンケルの北米ビジネスにとって大きな転換となり、ランドリーケア市場において第2位のポジションを獲得しました。オール (all®) 、サン (Sun®) 、そして柔軟剤のスナッグル (Snuggle®) などのランドリーケアのトップブランドが含まれているのがその大きな要因です。
今回の買収により、ヘンケルのランドリー&ホームケア事業のポートフォリオは北米市場にしっかりと定着し成功を収めている有力ブランドによって補完され、さらに強固なものになります。買収金額は約32億ユーロで、ヘンケル市場二番目に大きな取引となりました。
2014年6月、ヘンケルはBCパートナーズがアドバイザーを務めるファンドとの間で、スポットレス・グループSAS(フランス・ヌイイシュルセーヌ)の全株式を取得する契約を締結しました。買収はすべて現金によるもので、総額は9億4,000万ユーロ(負債を含む)でした。スポットレス・グループは、西欧で主にランドリー製品(ランドリーシート、しみ抜き剤、繊維用染料)、防虫剤、家庭用品関連の事業を展開しています。同社の主力ブランドには、Eau Ecarlate、Dylon、Grey、Catchなどがあります。2013年度の同社の売上高はおよそ2億8,000万ユーロでした。スポットレス・グループは、フランス、イタリア、スペイン、ベネルクス三国、イギリスをはじめヨーロッパの先進国市場において主導的な地位を確立しており、社員数は約470名です。
さらにヘンケルは2014年9月、エレクトロニクス産業向け熱管理ソリューションで世界をリードする非公開企業、バークィスト社を買収する契約を締結しました。バークィスト社(米国・ミネソタ州チャンハッセン)は、エレクトロニクス用途向け熱管理ソリューションを北米、アジア太平洋、欧州地域で提供しており、自動車、家電、工業用電子機器、LED照明などさまざまな産業で利用されています。2013年度の売上高は約1億3,000万ユーロで、従業員数は約1,000名、生産拠点は米国5カ所、中国1カ所の計6カ所となっています。この買収はヘンケルのアドヒーシブ テクノロジーズ(接着技術)事業のグローバルリーダーとしての地位をさらに強化するものです。
2012年、ヘンケルは2016年までの事業戦略と財務目標を発表しました。この戦略は、Outperform、Globalize、Simplify、Inspireという4つの戦略プライオリティを柱としています。
また、ヘンケルは新たなサステナビリティ戦略2030を発表しました。この戦略の中核をなすのは削減でより大きな目標達成を実現し、効率を3倍に高めることです。新たなサステナビリティ戦略は、全事業部門とバリューチェーン全体に適用されます。
2008年、ヘンケルはアクゾノーベル社から、ナショナル・スターチ社が所有していた接着剤事業と電子材料事業を引き継ぎました。これらの事業を買収したことで、アドヒーシブ テクノロジーズ(接着技術)はヘンケルの売上高のうち最大の割合を占める事業部門となりました。アドヒーシブ テクノロジーズ事業部門の中では、この買収により主に包装用・木工用接着剤とエレクトロニクスの分野が強化されました。
ヘンケルは、衣料用洗剤や家庭用クリーナー、ボディケア製品のメーカー、米国のダイアル社を買収しました。同社の製品ポートフォリオには、ボディケア事業の固形せっけん、液体せっけん、シャワージェルのほか、衣料用洗剤、エアフレッシュナーがあります。
2003年、プロフェッショナルヘアーアカデミー「ASK TOKYO」を東京・汐留に設立。名古屋、大阪、福岡にも展開し、次世代を担う美容師の育成に努めています。
2002年、ヘンケルは横浜にヘンケルロックタイト・テクノロジーセンター・アジアパシフィックを開設。アジア太平洋地域のお客様に個別にカスタマイズした製品とシステムソリューションを提供しています。
2000年、山発産業を買収し、ライオンとの合弁企業ヘンケル ライオン コスメティックスを設立。山発産業は1884年に大阪で始まったメリヤス問屋。1911年にロングセラーとなった白髪染め「るり羽」を発売。1956年には姉妹品「パオン」と「マロン」を発売。1987年に発売した若者向け毛髪脱色剤「フレッシュライト」は茶髪ブームを牽引しました。
1997年、ヘンケルはロックタイトの全株式を取得しました。現在、ロックタイトはアドヒーシブ テクノロジーズ(接着技術)事業で最大のブランドです。
ヘンケルは特にアジア太平洋地域でさまざまなジョイントベンチャーや事業立ち上げ、買収などでビジネスを拡大しました。 ヘンケル(チャイナ)投資会社と上海交通大学の合弁プロジェクトとして、ヘンケル交通管理トレーニングセンターを上海に開設しました。
1995年7月、ヘンケルはシュワルツコフ社を買収し、同社をヘンケルグループに組み入れました。この買収により、ビューティーケア事業部門の売上高は2倍になりました。シュワルツコフは現在、世界有数のヘアコスメブランドであり、ヘンケルの製品ポートフォリオの中で最大のブランドです。
ヘンケルは、ロシア、ポーランド、ハンガリー、スロベニアなどの東欧諸国で多額の投資やジョイントベンチャーを立ち上げ、事業を開始しました。
中国でも上海ヘンケルケミカル会社と最初のジョイントベンチャーを立ち上げました。
1985年10月11日、ヘンケルの株式が公開され、議決権なき優先株が発行されました。これに関連し、ヘンケルの財務諸表が初めて公表されました。
1969 年、業務提携に基づき、スティックのりPritt(プリット)が大阪のコクヨ株式会社から発売されました。2007年には、環境へ配慮して生物由来成分に変更し、スティックのりとして国内で初めてバイオマスマークを取得しました。2014年には、なめらかな塗り心地を実現した「なめらかプリット」が発売されました。
1956年、バーノン・クリーブル教授は自身が開発した接着剤ロックタイトを「液体のロックナット」として発表しました。この接着剤は機械のナットとボルトの緩みを解決するものでした。彼は近くに住むポール・G・ハビランドとともに米国コネチカット州ハートフォードにアメリカン・シーラント社を設立し、1963年にロックタイト・コーポレーションと社名を変更しました。
1985年、ヘンケルはロックタイトの普通株式の25%強をクリーブル一族から購入しました。さらに1996年までの数回にわたり持ち株を35%まで増やし、ついに1997年にロックタイトの全株式を取得。現在、ロックタイトはヘンケルのアドヒーシブ テクノロジーズ(接着技術)事業で最大のブランドです。
1954年、Böhme Fettchemieが神戸のWest European Trading Companyに、日本における製品の独占販売権を授与。皮革と繊維の助剤を販売。1957 年、West European Trading CompanyはNippon Henkel Chemicalに社名を変更しました。
この画像は1950年のPoly Colorのパッケージです。この液体ヘアカラーは、テラケミー社が1947年に発売したものです。ヘンケルは1950年にテラケミー社を買収し、コスメティック事業に参入しました。
1930年、シュワルツコフはヘアサロンへ製品の販売を始めました。
1929年、ヘンケルは工業用クリーナーP3を発売し、製品ポートフォリオを拡充させました。P3クリーナーは硬表面の汚れを落とすことができるクリーナーです。
1922年、接着剤の供給が中断したため、ヘンケルの消費者向け製品の一部でラベルを付けられないという恐れが生じました。このため、ヘンケルは自社で接着剤の生産を開始しました。
1923年、初めて近隣の企業に接着剤が販売されました。ヘンケルはパッケージング業界に加え、当時シシェル社が市場を占有していた内装・壁紙市場でのシェアの獲得に乗り出すという野心的な決断を下しました。
1913年1月29日、ヘンケルはスイスのバーゼル–プラッテルンに初めての子会社、ヘンケル & シーAGを設立しました。1923年まで、同社はドイツ国外に工場を持つヘンケル唯一の子会社で、HencoとPersil(パーシル)はいずれもここで製造されていました。その面積は9,161平方メートルに及び、初年度の売上高は約150万スイスフランでした。
1907年、世界初の自己活性衣料用洗剤であるPersil(パーシル)が発売され、その後のヘンケルの成長の礎を築きました。この洗剤は、塩素を使わずに洗濯物を洗浄・漂白できるもので、繊維を傷める原因になる、こすり洗いの重労働がなくなるだけでなく、家庭の衛生状態も向上させました。ヘンケルが直接目に見える形で社会の進歩に貢献したのです。現在、パーシルはドイツナンバーワンの衣料用洗剤であり、ヘンケルのランドリー&ホームケア事業のトップブランドの一つです。
1903年、シュワルツコフは、今ではおなじみのブラックヘッドのシルエットマークとロゴをあしらったドイツ初の洗髪パウダー、Shampoon(価格は20ペニヒ)を発売しました。Shampoonの成功により、ハンス・シュワルツコフは薬局事業を手放して、ヘアケア製品の製造と販売に専念することにしました。
1898年、国の認可を受けた化学者のハンス・シュワルツコフがベルリン・シャルロッテンブルクの染料・薬品・香水事業を買収しました。1898年の創業以来、シュワルツコフはプロフェッショナルなヘアケアの代名詞となり、モダン、高品質、革新性などのバリューを提供してきました。こうした実績を背景に、シュワルツコフは一般消費者向けブランドと、ヘアサロン向けブランドのシュワルツコフ プロフェッショナルといった複数のブランドポートフォリオ(製品群)を持ち、広く認められています。1995年、シュワルツコフ社はヘンケルの一員となりました。
1878年、ヘンケルにとって最初のブランド名を冠した製品が発売されました。フリッツ・ヘンケル自身の研究の成果であるこの漂白用ソーダは、溶けやすいケイ酸ナトリウムとソーダ灰(無水炭酸ナトリウム)で作られていました。同年、ヘンケルは製品の海外輸出を開始し、200箱のHenkel’s Bleich-Sodaと200ポンドのUniversal-Waschmittelをスイスに輸出しました。
最初のブランド製品であるHenkel’s Bleich-Sodaの成功を足がかりに、1878年、フリッツ・ヘンケルは会社をデュッセルドルフに移転しました。最初はフリンガーン地区に工場を借り、その後1880年にデュッセルドルフ・オーバービルクに自社工場を建設しました。1899年、フリッツ・ヘンケルは当時デュッセルドルフの郊外だったホルトハウゼンに土地を購入し、漂白ソーダ工場、ケイ酸ナトリウム工場、作業所付きのボイラー室、そしてオフィスの建設に着工。1900年3月、ヘンケルは新工場での生産を開始しました。
1876年9月26日、28歳のフリッツ・ヘンケルと2人のパートナーがドイツのアーヘンにヘンケル&シー社を設立しました。同社の製品はケイ酸ナトリウムベースの衣料用洗剤で、Universal-Waschmittel(ユニバーサル洗剤)と名付けられました。当時、同様の製品はすべて量り売りされていましたが、この強力洗剤は手軽な袋詰めで販売されました。
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